マレーグマが好き。

生きてるだけでMVP。心の健康を保つための日記です。アイコンとヘッダーはともだちに描いてもらったものです。

日記って好きなように脱線して書けるから楽しいよね。

月曜日は引き続き二の腕が痛かったけれど、今日はマシだった。代わりにマスクで呼吸が浅くなったせいか始終頭痛が酷かった。酸素が頭にいってないのかな。体調が悪くて風邪気味かと思ったけれど職場を出たらソッコー直る。なあんだただのストレスか。労働は身体に悪い。

いつもは録画で観ている豆夫をリアタイした。後日録画を観るので流し見だが、リアタイにはリアタイにしかないよさがある。毎回感じるようにセリフが好き。コメディパートが好き。本筋から離れているけれど、ノイズになったり冗長に感じたりしないのはどうしてだろう。キャラクター描写の一環だからか? おもろいから、だけではすまない何かがあるように思う。繰り返すけれどセリフがめっちゃ好き、こういう言葉を自分で書けるようになりたいと思う。聞き流すだけでもおもしろそうだ。シチメンドクサイみんなが愛おしくってたまらない。

余談だけど、〝しち〟って言いにくい。〝ひち〟って言っちゃう。布団を〝敷く〟だけど、〝ひく〟って言っちゃう。生粋の江戸っ子は〝ひ〟が発声できなくて〝あさししんぶん〟になるって言うけどその逆だな。さらに話をずらすと東京のひとのしゃべる東京弁はとてもなめらかだなあと思う。コロナ以前はときどき電車で聞く機会があった(旅行者だったと思う)。そのたび聞きほれてしまった。地方のひとが話す所謂〝標準語〟とは違うなめらかさがある。でもタメ口の東京弁(関東弁?)は断定口調に聞こえてしまって(耳馴染みがないというのもで大きいけれど)とても怖い。やっぱり〝標準語〟とはちょっと違う。東京弁も関東弁も方言だし、あれは訛りなんだと思っている。言葉の標準だなんて、かりそめのものでしかない。

ヘルタースケルターを読んでる。リバーズエッジと同じく90年代の日本の空気が濃密に描かれている。華やかさは外面だけで内面は空疎、作り物のハリボテにすぎないからいつ壊れてもおかしくない。そんな時代の日本そのものは主人公。けれどたとえハリボテに過ぎなかったとしても、30年前のこの国がこんなに豊かだったなんて、今思えば信じられない。岡崎京子がいまの日本を題材にしたらいったいどんな作品を描くんだろう。また話がズレます。偶然と言えば偶然、仲良くなったひとに、なぜだか1990年生まれが多い。一年くらい前後してもおかしくないのに、そろいもそろって1990年生まればかりだ(91年の早生まれのひともいる)。不思議。

脱線ばかりで好きなことだけ書いた。